立夏
今日は二十四節気の「立夏」です。
詳しくはこちら ↓ ↓ ↓
こどもの日
今日はこどもの日です。
鯉のぼりの日
男子誕生を祝って鯉のぼりを掲げる文化を広く知ってもらうために、日本鯉のぼり協会が制定しました。
【Q1】初期の頃の鯉のぼりは、黒い真鯉だけでした。やがてそれに緋鯉が加わりましたが、童謡「こいのぼり」では真鯉をお父さん、緋鯉は何だと言っていますか?
【ヒント】歌ってみてください。
【答】こどもたち
お母さんはいません。
【Q2】中国の故事に以下のものがあります。
黄河の「竜門」と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうとして、鯉だけが登りきり竜になることが出来ました。
この故事から出世のための超えるべき難関を何といいますか?
【答】登竜門
端午の節句
端午の節句はもともと老若男女関係なく、邪気を払い無病息災を願う日でした。
「端午」とは中国では月初めの「午(うま)の日」のことでしたが、やがて忌み慎む月とされる5月の5(ご=午)日を指すようになりました。
その日は邪気をはらうため菖蒲をお酒に浮かべて飲んだりしていたそうです。
日本でも5月は穢れを祓う月だったので、やがて中国の風習と結びついて菖蒲湯に入ったり、軒先に菖蒲の葉を吊るしたりなどするようになりました。
端午の節句が男の子の節句とされるようになったのは、江戸時代に武士が「菖蒲=勝負、尚武」と捉えるようになったのが由来といわれています。
成長、出世の願いを込めて武者人形、鯉のぼりを飾り、子孫繁栄の願いを込めて柏餅を食べるようになりました。
菖蒲とあやめとかきつばたの見分け方を教えてください。
【答】下の記事をどうぞ
日本人が初めてオリンピック出場
1912年(大正元)の今日、オリンピックストックホルム大会にアジアから初めて日本が参加しました。
日本からは、短距離の三島弥彦、マラソンの金栗四三(しそう)の二人が出場しましたが、三島弥彦は400m準決勝で棄権し、金栗四三は途中行方不明になりゴールにたどり着けませんでした。
金栗四三はマラソンの途中熱射病で倒れ、近くの民家の住人に助けられて目が覚めた時は翌日だったそうです。
本人は棄権したつもりだったようですが、その後棄権の意志がオリンピック委員会に伝わっておらず「競技中に失踪し行方不明」、つまりまだ走り続けている扱いになっていることが判明。
そこでオリンピック委員会が、1967年のストックホルム開催55周年記念式典に金栗を招待しゴールさせることになりました。
1967年3月21日、金栗は「54年8か月6日5時間32分20秒3」という記録でストックホルムの競技場に用意されたテープを切りゴールしました。
この記録はマラソン完走最長タイムとしてギネスブックに載っています。
走り終えてのコメントは、
「長い道のりでした。この間に孫が5人できました。」
誕生日
●小林一茶(俳人 1763年)
松尾芭蕉や与謝野蕪村と並び江戸時代を代表する俳諧人です。
生涯に21200句も作ったとされ、その数は他の俳人に比べ圧倒的な多さです。
(芭蕉1000句、蕪村3000句)
独特な表現方法が「一茶調」と呼ばれています。
●雀の子そこのけそこのけお馬が通る
●やれ打つな蠅が手をすり足をする
●雪解けてくりくりしたる月夜かな
●屁くらべがまた始まるぞ冬籠り
●雪とけて村一ぱいの子どもかな
●雀らも真似してとぶや渡り鳥
3人一組になって俳句を作って遊びましょう!
【やり方】
俳句の5・7・5を一人ずつ担当し、3人で一句を作ります。
何かお題を出して、3人それぞれがお題にまつわる言葉を考えて、出てきたらつなげてみましょう。
たまにキレイにまとまりますが、変な出来になっても笑えるので楽しめますよ。
●金田一京助(言語学者 1882年)
息子は、同じく言語学者で国語辞典の編纂の金田一晴彦。
石川啄木の友人としても知られています。
●金田一秀穂(ひでほ)(言語学者 1953年)
金田一京助の孫。
おじいちゃんと孫で同じ誕生日。
●デープ・スペクター(タレント 1954年)
アメリカのABCテレビのプロデューサーでもあります。
コメンテーターとしてテレビでよく見かけます。
あまりに流暢な日本語と、必ず滑るダジャレのお陰で、「埼玉生まれの日本人」という噂が。
●工藤公康(野球選手 1963年)
投手として、西部ライオンズ、ダイエーホークス、読売ジャイアンツで活躍しました。
引退後は解説者、野球評論家を経てダイエーホークスの監督に就任。
息子は俳優の工藤阿須加さん。